履修問題、誰も困らなかったことが問題

高校の履修問題が話題になっています。
今朝のテレビの多くの番組でも取り上げていました。
コメンテーターの方が「この問題で誰が困ったのか、だれも困らなかったのではないか」と、興味のある発言をしていました。
私は誰も困らなかったことが、問題を顕在化しにくくしていたように思います。だからこそ、色々な関係者が“ウソ”の行動に対して後ろめたさを感じながら(そう願いますが)誰も止められなかった。そういう罪意識を深く残した出来事だったと思います。
生徒たちも、これまで、何となく、ウソの報告等に対しても疑問を持ったと思いますが、そのまま通ってしまったことが、“大人の世界はそういうもの”ということを学んだとしたらとても深刻です。
企業においてもウソの報告は経営判断を誤らせると同時に、ウソが通ってしまうことで社員の意識に影響をおよぼし、風土体質を腐らせることに繋がっていきます。

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