何をしたかではない、何のためにしたのかが大切ではないか

映画「雨あがる」をご存じですか?
先日、録画「雨あがる」を録画していたことを思い出して6~7年ぶりに観ました。
なぜ、観る気になったのか?
あの(と言っても映画を観ていない人にはわからないと思いますが)主人公の浪人の生き方、あらためて観てみたいと思ったからです。
武芸の達人でありながら人が良いことが災いして浪人暮らしをしている主人公(寺尾聡)と妻(宮崎美子)の2人が旅の途中で、雨のために川を渡れずに宿に泊まりますが、その宿での人間模様、地元の武士たちとの争い、殿様とのやり取りを描いています。
原作は山本周五郎さんの作品です。
毎日毎日雨が降り続け、川は増水、旅人たちは川を渡る事ができず、同じ宿に泊まっていると、貧しさから気持ちが荒れ、ケンカが始まります。
そんな時、主人公の浪人(寺尾聡)が禁じられている賭け試合をやって金を得て、宿の荒れた人たちの気持ちを和らげてあげようと料理や酒を振舞います。
宿の人たちは大喜びです。
ある時、土地の殿様に気に入られて剣術指南番の誘いを受けます。
しかし、決まりかけた時に、先の賭け試合のことが発覚し殿様からの使者から、剣術指南番への話は無くなったと伝えられます。
その時、浪人の妻(宮崎美子)が使者へ言います。
(賭け試合をやったことに対するお咎めに対して)
「何をしたかではない。何のためにしたかが大事ではないないか」と。
「貴方がた木偶の棒にはわからないことでしょう」と。
浪人の妻(宮崎美子)は、
賭け試合をやったことは悪いことかもしれないが、賭け試合をやったことだけを責めるのではなく、何のためにやったのかに目を向けることが大事ではないか。単なる金を得るだけではなく、その金を貧しい人たちの荒れた気持ちを和らげるために、食べ物やお酒を振舞うために賭け試合をやった。そういう気持ちがわからないのは木偶の坊だと・・。
言いたかったのです。
その浪人の妻(宮崎美子)の言ったことを殿様が聞いて、馬で浪人夫婦を追いますが・・・・。
目的が人のためなら何をやっても良いということにはなりませんが、今の世の中、やったことを批判することが多いのですが、やった人とやったことだけを捉えて批判するだけでなく、“何のためにしたのか”にも目を向ける余裕を持ちたいと思います。
手塚利男

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