工場革新支援の苦い思い出

久しぶりに東海道新幹線「こだま号」に乗った。
以前、仕事で何度となくこの新幹線「こだま」に乗った。色々な思い出があるが、一つ苦い思い出がある。
あるメーカーに約1年半ほどトヨタ式をベースにした工場革新のキーマンとなる工場監督者の育成支援を行った時だ。
私自身、トヨタ系のコンサルタントから9年ほど「トヨタ式改善」の指導を受けたことがあり、それをベースにプログラムを作成して指導を行った。
しかし、これまで自分たちの意思で改善に取組んだ経験がない工場の人たちだった。経営トップは「先生、厳しくやってください」「ガンガン怒ってください」と言う。私は強制的にやっても一時的に効果が出ても長続きしないということを体験から学んでいる。
月に1回の指導会、工場の監督者がその気になるまで悪戦苦闘の日々が過ぎた。
結局、「強制的なやり方をしないと人は動かない」という経営トップの考え方と私の支援方針が合わず契約途中で終了となった。
苦い思い出というのは、最後まで、工場の監督者の気持ちが掴めなかったことだ。そして、今、あの監督者たちは「強制的なやり方をしないと人は動かない」という経営トップの考え方のもとでどうしているだろうかと気になる。

コメント

タイトルとURLをコピーしました