6月18日の法政大学院での「いすゞ自動車風土改革講演」をふり返って

すっかりご無沙汰してしまったブログ、久しぶりに書きました。
一昨日の夜(18時30分~21時45分)、法政大学院でお時間をいただいていすゞ自動車の風土改革の話をさせていただきました。
テーマは組織文化の創造、脱構築、再構築について
サブテーマは、「社員が主役の改革!脱常識な改革手法、不発に終われば再起不能の打撃を受ける後がない賭けは成功したのか?・いすゞ自動車の自由な風土改革事例」です。
受講生は社会人の方ですから、昼の仕事を終えてからの参加だと思いますが熱心に聞いていただき、質問もいただきました。
受講生の6割強が女性でしたが、あらためて女性のパワーを感じました。
講演の冒頭で申し上げたことは、「改革への取組む姿勢イコール生き方ではないかと思います」と。
いすゞ自動車の風土改革は、私が参加する前の1990年から始まったと思いますが、私が主体的に関わったのは1992年ごろ。改革が終わりを見せたのは1999年か2001年で、約10~12年間の活動でした。
改革の初期のころ、日経ビジネス(1992年7月6日号)にスペシャル・リポート「瀬戸際いすゞの危険な風土改革」が載りました。
「1万数千人の大企業を揺さぶる「社員が会社を変える」実験は、不発に終われば再起不能の打撃を受ける後がない賭けである」と紹介されてしまいました。
取材した記者は、活動している人や経営陣に対してインタビューした結果、非公式な活動が力(権力)を持てば、社内が二重権力化するのはないか、危険な賭けだと見たようです。
結果は取材記者が想像したようにはなりませんでした。
講演を終えていくつかの質問をいただいた中に、長い改革の後半で経営陣、改革世話人、外部コンサルの間の連携が弱くなったとありますが、手塚さんが、もう一度、その場に戻れるとしたらどういう行動をとりますか?という質問がありました。
その場では、「改革のスタート期と同じように、3者が直接話し合う、おかしいと疑問に思ったら直接会って話をする、誤解がないように働きかけあう」と申し上げました。
しかし、その後、あらためて考えてみると、私自身が経営トップと直接会う機会がなくなったのは、トップと連携しなくても自分たちの力でも進められると思い違いをしたことですから、あらたな改革ビジョンを持って改革を支援する。
トップに会いに行こうというエネルギーがなくなっていたのは、次のステージに向けた課題意識がなかったこと、是非、トップと共有したいという熱意がなく、トップの考えの確認も外部コンサルに任せてしまったことが原因だと思うので、改革ビジョンを持つこと。
私の初期の改革の動機の幅の狭さが次の展開への力がなかったことが原因、したがってメンバー交代するか、あらたな改革ビジョンを持って活動する。
枝葉の細かい違いにこだわらず、原点に返って、阿波踊りのように違いを共有する。
もし、時間を戻せるとしたら上記のような行動をしたと思います。
今回の法政大学院での講演は2回目でしたが、先生からは昨年と比べて、リアルで良かった、泥臭い話で良かった、今日の話には感動しました、という評価をいただきました。
私にとって今回の講演からはじめての試みでしたが、風土改革の話は、人の生き方そのものではないかと考え、私がどういう気持ちで動いたか、どんな思いで仕掛けていったか、周囲の変化をどう感じたのか、自分のこととして話をしてみました。
自分が関わらなかったことはさらっと紹介し、自分が深く関わったことを話しました。
そのせいでしょうか、改革の後ろ盾をなくし出向して退職するまでの話には、受講生から「なんか、話を聞いていてせつなくなりました」との感想をいただきました。
カップヌードルの生みの親である安藤百福さんが生前おっしゃっていた「実感なき者の言葉は軽い」という話を思い出して今回の講演に臨みました。
私のミッション:「出会いから秘めた変革の思いに火をともす」

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