I自動車の風土改革で経験した血湧き肉躍る熱い思い出

「手塚 お前はどうしたいんだ お前一人ぐらい自由にやらせる懐(たぶん時間とお金)はあるぞ どうしたいか自分で決めろ」

忘れもしない K専務から返された言葉だ

赤字の会社が黒字浮上し復配になり 成功した風土改革として新聞にも多く紹介されはじめた

活動も壊しのプロセスから明日に向けた構築を模索するプロセスに入っていた時

「手塚を本社におくな 工場に戻せ という声が出ている」という情報が入ってきた

誰が どこから?

自由に動きすぎ?活動の方向が合わなくなった?だから外そうと考える人が出てきたのだろうか

当時は本社の人事部に所属し全社風土改革を支援をしていた

事実を確認するために、活動の委員長のM専務にも伺った

何人かに聞いていくうちに事が大きくなってきた

一緒に活動していたSコンサルタント会社の社長は「しばらくうちの会社に出向という形できてはどうか」と提案してくれた

逆に出向はやめた方がよいとアドバイスをしてくれる人もいた

迷った

最後に相談に行ったのが先の人事担当役員であるM専務だった

最初に「自分の人事に口を出すんじゃない」とお叱りを受けた

目はなんとなく笑っていた

そして言われたのは、

「お前はどうしたいんだ もっと風土改革に取り組んで勉強したいならお前一人ぐらい自由にやらせる懐(たぶん時間とお金)はあるぞ どうしたいか自分で決めろ」

だった

「ただし、会社のためなんて考えるな。自分のためにやれ。会社のために・・なんて考えると方針が変わった時に会社を恨むようになる」

「自分のためにやります」

その後、何事もなかったように活動を続けることができた

K専務は社内では社長に次ぐ影響力を持っていた

活動も10年以上続いた後に外資からの影響でK専務は退任、しばらくして社長も変わった頃から改革活動に逆風が吹き始めた

私は関連会社に出向となった

形式的なものだったと思うが役員としての出向だった

出向先での社長の「まだ若いんだからこれも試練と思って・・」で飛ばされたことを示す決定的な一言になった

出向になっても特にショックもなかった

飛ばしであっても方針が変わったから仕方がないし、自分のためにやった事の反動だから

むしろ出向先でお荷物にならないようになんらかの貢献をする事で必死だった

並のサラリーマンに好き勝手にやらせてくれたいすゞ自動車に感謝

「ギスギスした職場はなぜ変わらないのか」より

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