ふるさとでの墓参りと、弟に伝えたこと

2022年11月14日に山形に眠っている親父とお袋、ご先祖さまの墓参りのために帰省した

庄内空港まで飛行機で行き、レンタカーを借りて米沢まで移動し1番下の弟と合流、2人だけで行く予定だったが3番目の弟も誘うことになり南陽市宮内で合流した

一番上の兄貴をのぞいて、私と三番目の弟、四番目の弟、久しぶりの兄弟の再会だ

最初にお袋が眠る蔵王の麓にある墓参りをした。朝はパラパラと雨が降っていたがお墓に着いた時には青空が全山を覆うように広がっていた

昼食を3人で食べたが記憶にないほど久しぶりだった

男兄弟だから話が弾むことはないが子供の時が話題になった

次に親父が眠っている南陽市羽付にある珍蔵寺に行った。珍蔵寺は「鶴の恩返し」で有名なお寺だ。この季節紅葉に覆われて綺麗なところだが、今回は多くはすでに散っていた。代わりに落ちたイチョウの葉っぱが地面が見えないほどだった

珍蔵寺は銀杏の葉のじゅうたんに覆われていた
石碑もないおばあちゃんと親父の超質素なお墓

墓参りを終えて帰ろうとしていた時、住職のご家族と思われる女性から「墓参りですか?」と聞かれた

実は挨拶して帰ろうと考えていた時だったのでグットタイミングだった

管理のお礼を申し上げた後に「タケダリツコさんはお元気ですか?私は梨郷小学校の時の同じ学年だった手塚利男と言います。リツコさんは小学校低学年の時に漆山小学校に転校されたと思いますが・・」と話してみた

そしたら「・・・(土地名か施設名?)にいますよ」と返ってきた。ああ、まだ(生きて)いらっしゃるんだと思った。それだけで安心してしまい、・・・を聞き返せなかった。それに私のことなどは全く覚えていないだろうから

聞いてことで満足だった。最後はご先祖さまの墓参りだ

私たちは手塚家の本家で羽付に先祖代々が眠るお墓がある。屋号は与平と呼んでいたらしく与平檀というお墓があり、そこに行った

ご先祖さまのお墓

元々は写真の倍のお墓があり、左右に並んでいたが、新家のヤマミチさんが自分たちが管理すると言って半分移したらしい。本家である私たちがしっかり管理していなかったので異論を挟む余地はない

上に見える赤い屋根の家が私が生まれた家だ。右側に母屋、左側入荷小屋、この配置は昔と同じ。元々は自分たちの持ち物だったが借金の肩代わりに取られていつの頃からか分からないが借家になっていた。

おじいちゃんの酒と博打で山畑や家を取られたと聞いているが真相は不明だ。いつか知りたい

墓参りを終えて3番目の弟の家に行き奥さんに挨拶、30分ほどで帰らせていただいた

夕食を3人で食べようと思ったが3番目の弟は歯が悪く美味しく食べれないと行かず1番下の弟と夕食を取る事になった

弟は米沢牛をいただける店を予約してくれていた

米沢牛というお肉をいただくのは初めてだった

子供に時の思い出など話しているうちに親父が50代で亡くなったことや、死んで何が残せるのかという話になった

弟が「俺もお袋と同じ墓に入るから、蔵王は遠いけど墓参りを頼む」などと言うんで「順番が違う」と返した

兄貴、俺、勝三、そして最後はお前だ、順番がある、と

俺もお前に何も残せないが、俺の死に様を残していくよ

きっと学ぶものがあるはずだからと伝えた

本気だった

米沢牛でしゃぶしゃぶをいただき弟のこれまでの事、これからどうするか、色々聞いた

新聞販売店に勤めているため、今夜と明日の朝から仕事があるため、20時前には別れた

明日は夕方の飛行機なので午前中は上杉神社でお参りし午後は鶴岡の方に移動して鶴岡城周辺を回ってみるつもりだ。ついでに藤沢周平記念館にも行って見るつもりだ

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