顔が膝にくっつくぐらい前屈姿勢が強く、しかも左手は使えず、かろうじて右手が使えるので自分で必死でご飯を食べていた
逝かれるちょっと前ごろは右手も使えず食事は完全に介助だった
あまり食事も取れなくなり、朝のジュースやおやつ時のコーヒーなど、美味しいと喜んで飲まれた
いつ頃からか「死にたい」というようになった
不自由な身体で職員に負担ばかりかけることを気にされていたと思う
このことを他の職員に聞いてみたら、聞いていないというから、一部の職員にしか言っていなかったのかもしれない
身体が不自由になった原因は若い頃の自転車事故だったらしい
幼稚園の先生をされていたのか、時々「あの手塚くん?」と聞かれた
園児に手塚という名前の男の子がいたらしい
昨日、家族の方がお部屋に忘れ物がないか確認にこられた時、その話をしたら、幼稚園の先生はしていなかったとのこと
どこから「手塚くん」がきたんだろう
同級生だったのか?
向こうに行ったら、自由に歩けて、いきたいときにトイレにいけて、食事を楽しんで、楽しく過ごしてほしい
さよなら